一歩の景色

日々のあゆみと心の景色

影響している?

お久しぶりです。

気づいたら11月です。そして、とても寒いです。

さて、たぶん他の人からみればそんなこと位のことでかもしれないのですが…(と、パターンは言っている)。あることにひっかかり、勇気を出して言ってみたのですが、私の勘違いとあっさり言われ、自信がないパターンとしては、あぁ、そうでしたか…と、もやもやを抱えたまま終えてしまいました。でも、やはりもう一度確認したい。二度目はもっと勇気がいります。もしかしたら…○○さんが怖いともう決めつけなくてもいいのかもしれない…を何度も心の中で言いつつ、それでも一旦怯む…。

時間は過ぎていくと思い、再チャレンジしました。

そのことが思った以上にほっとしたと気付いたのは、数時間経ってからでした。

同時期にそれとは全く関係のない別のパターンでイライラしていたのですが、ひとつのパターンの白を選んで行動するとほかのパターンにも影響するのか、状況が変わったわけではないけれど、そのイライラが少し落ち着いたような気がしたのです。これは自分にとって想像していない体験でした。

嫌われるのが怖い

事実をそのまま話したつもりでしたが、聞いていた人のパターンにひっかかったようで、思わぬ返事で、驚きました。何か気に障るようなこと言ったかな?と急にざわざわとし、不安になりました。相手はとて身近な人なので、きっと、このことに引っかかったかもしれない。こう言えば相手に嫌がられなかったんじゃないか等、思考し始めましたが、一旦ストップ!しました。

もしかしたら…嫌われるのが怖いと、もう決めつけなくてもいいのかもしれない…。

相手の機嫌に左右されることから、それをうかがわなくとも自分はもう大丈夫になってきているのかもと、その後の思考はやめました。

疑心暗鬼に陥ることもなく、さらに相手に対してネガティブな感情をもつことなく、清々しさを感じました。

外から内へ

「自分の内側へ目を向ける」と、意識しないと相手の方へ。どうありたいか?と問うてもパターンが考える理想のあり方のようなものを考えてしまい、あぁ…違う…とさらに難しくしてしまう。

先日の勉強会で仲間が前回のセミナーでの話をしてくれました。

あぁ…そうだった、もう○○を選ばない人になりたいというのもありたい自分。

ふっと、安心し、胸のあたりが温かくなりました。

内側へというのも最近やっと少しだけれど、わかってきたような気がします。

興味をもつことが嬉しい

Eテレシアター才能発掘!ザ・ピアノを楽しく観ています。ピアニストのランランが出ているからです。

子どもの頃、ピアノを習っている人たちが学校のピアノでエリーゼのためにの前半部分をよく弾いていて、いつの間にか私も口ずさむようになりました。

そして大人の今、ピアノを習い始め、たまたまランランのエリーゼのためにを聴いた時、私の思うその曲とは違っていて、とても驚き感動しました。

その時、夢中になって何人かのエリーゼのためにを聴き、色々な演奏があること、そして自分にも好みがあることを知り、そこでの判断でその人の他の曲も聴いてみたいと思いました。クラシック音楽に疎いと思っていたので、大げさかもしれませんが、ちょっとですが興味を持てたようで、嬉しかったです。

そのきっかけになったランラン。次回も楽しみにしています。

 

勉強会

きょうはクラスの勉強会でした。

今年の抱負の話をしました。

私の抱負は、・自分に素直に正直になる・「私」はどうありたいかを意識する・楽しいことに時間を使うの3つです。

抱負について振り返ったことと、みんなの前で話しているうちに抱負の中に自分への疑問やもう少し深く考えてみたい事に気づき、この機会をこの時期に与えられてよかったと思いました。

クラスの仲間の話も意識していたわけではないけれど結果的に集中して聞いていたと思いました。

皆さん、ありがとうございました。

自分だから話せる

すぐにあれこれ思考に走る自分ですが、以前思いっきり不快感を感じ、驚き怒り、悔しさ恐れ不安が一気に出たことがありました。身体もかぁーっと熱くなりました。その時は、こんなパターンがある自分は嫌だとは思わなかったです。それを考える余裕もなかった。正しいとか間違ってるとかも考えなかった。そして今、その時のことを思い出しても「あの時は、そうだったんだね…」と、苦しくなった自分に愛おしさを感じます。

この感覚が自分にとって少々驚きと嬉しさがあります。

自分にとってネガティブな感情って、時にはそれを持っていることが嫌な時もあります。それがどんなに幼くても醜く感じても自分がわかっていればいいのにと思うのに。

誰かに聞いてほしいけど、こんなこと言えないと思う時、新たな苦しみも生まれます。言ってから、どう思われただろう…とそれとは違う不安が襲ってくる時もあります。

そう思うと、自分が聞いてあげれるってとてもいいなぁと思います。誰にも遠慮せず、余計なことを考えることなくありのまま、自分だから話せる。

それなのに考えてしまうのは、他人からどう思われるかと思うパターンやあれこれ複雑にしてしまう癖がついているんだと思います。

誰も何も意識せず素直な時は、すっきりして心地良いです。この感覚を何度も思い出し、繰り返しやっていきます。

シンプルに

ここ数日、語りかけをシンプルにと、意識し書いています。

あっ!と、不快感を感じたことをそのままノートに書いています。そしてそれは、思っていたよりスムーズにできています。

で、なんで思考をたくさんしてたのか?解決しようとしたり、ネガティブさに大小があってこれは手ごわいとか、意気込んだり、沈んでしまったりとパターン優勢だったのか、なにかもっと特別感を持っていたのか、と考えているうちに、あれ?なんだかわからなくなってきました。それだけ、あれこれ思考してきたのだと思います。

先生の日記のなかに「だけなのに」と書いてあります。それではないことをしていたのだと思います。

このままシンプルにやっていきます。