一歩の景色

日々のあゆみと心の景色

ちゃんと感じる

 不安や恐れ・・・。

心細くさびしさからも出てくる感情です。その感情さえも慣れてきっとそうであろうと決めつけていたかもしれません。

 

 先生との個人セッションでその中にくやしさはありませんか?と聞かれ、ないと言ったものの・・・。もう一度向き合ってみるとモヤモヤとした不満のようなものが出てきてうるっ・・・。

ネガティブな感情を出すことにブレーキを踏んでないだろうか?くやしさ、やるせなさ、もどかしさ、いたたまれなさ、不満までちゃんと感じる。

 

 そしてただ、ただ素直に気持ちをひろいあげよう。歪みなくそれらを見て、言葉に表しながらパターンの言いたいことを聞いていこう。パターンが安心してそこに居られるように。

軽さを持って

早いものでもう4月に入りました。

時が過ぎていくのに追いつけないのではないかと思うほど勢いを感じています。

 

今年に入って自分が見ていたものが全く違っていたと知り、ただただ驚きあれは幻だったのかと思うような出来事が何度かありました。

少し落ち着いてそれらを振り返ると、自分(パターン)が長い間決めつけてそのことを信じて疑わず見ていた。ひっかかることもなく(もしかしたら、ひっかかっても無意識に否定していたのかもしれません)見ていた。それほど、決めつけた見方をしていたのか・・・と思いました。

そしてその見方を正しいと信じたいがために、自分がいつまでもそこにこだわりそこに居続けていることにも気づきました。

 

また、昨日はこう思っていたけれど、きょうは違っていて戸惑いを感じる場面もよくあり、決めつけやこだわりは自分を重くしていることを感じています。それらを解き放ち、その時どきで新たな目を持ち、新たなカードを選ぶ軽さを持って進める自分でありたいと思います。

ちゃんと聞く

 どうしてそう思うの?と自分の黒パターンに聞いていくとだいたい答えが決まっていることがあります。

なんだか広がりを感じません。これってハウツーや苦しさから逃げるため、「私」ではなくパターンが語り掛けしているんだなぁと思います。

 全く違う角度から聞いたり踏み込んで聞いて、ん~~?どうしてだろうと探っていくとあっ、そうなんだ!と想像もしなかった気持ちに気付き、清々しいような広がりを感じます。

決め付けないで、どんどん聞いていく、ちゃんと聞いていく、それが面白いってことを忘れちゃだめだよ!って自分に気合をいれています。

 

どんなときでも

 コロナになってしばらくベッドで横になっている生活を続けていました。インフルエンザの時はこれでもかというくらい眠れたのですが、今回は、身体のあちこちが痛く、眠れませんでした。

 

ふと、子どもの時のことを思い出しました。

私は小学校高学年のころから、両親の仕事の都合で祖母宅にお世話になりました。

ご近所の方々が途切れることなく、お茶飲みにくるような、にぎやかな家でした。

「さびしくない?」と、よく聞かれたのですが、当時の私はさびしいと言えば、横で聞いている祖母や叔母に気を使わせたくなく、また自分の気持ちの核心をつかれているのが嫌で「さびしくない」と言っていました。こういう話はきっとどこからか、母の耳に入っていたと思います。

 今思うと、当時の自分は、さびしくないと言っても、何を言ってもどんなときでも母は私を嫌いになったりしないと、心のどこかで知っていたのだと思います。

いつからか、大きくなるにつれ、そのことを忘れ、自分の思うような母であってほしいとあれこれ文句を言ったり母の言葉に機嫌が悪くなったりしていたなぁと振り返ります。

 

ああ、自分は十分愛されていたのだなぁ・・・。そして、形は違えども、誰もがそうなのではないかと思いました。

そこに気付かせてくれた当時の自分と亡き母に感謝しました。

 

身体も段々元気になってきました!

明るく前を向き、周りに感謝をし、また日々を積み重ねていこう。

 

心の時間

何もしていないのに楽しいなあって思う日があります。

窓から見える青空を見上げ、珈琲を飲み、次はお茶・・・時がゆっくり流れます。

両手を広げ、大きく背伸びをし、ああ、気持ちいいなあと解放感を感じます。

 

今までは、自分に足りないものを埋めようとしたり、昨日のことが気になってしまったり、何もしていないと誰かに何か言われるのではないかとそわそわしたり落ち着きがなく、常に頭の中が動いていたように思います。今はありのままの自分を認めることができる時間があり、心が軽く余裕が出てきてうれしいと感じます。

一歩の景色

一歩という文字をよく書きます。

ある日は、こつこつ進むための一歩(苦手分野だから)。

時には勇気を出しての一歩(自分へのエールとして)。

「はじめのい~っぽ♪」の掛け声で始める「だるまさんがころんだ」の始まりの一歩。

ぐすぐすと泣いてた子が、掛け声とともに思わず一歩飛び出し笑顔で遊んでいる、そんな一歩。ぽんっ!と飛び出せば、悲しさ辛さもあるけれど、楽しさに引っ張られて笑ってしまう。

 

いろんな一歩、その一歩先の景色をみてみたい。

この日記も新たな一歩として。

はじめまして

 2011年3月から「魂の道場」で学んでいます。

 今年の3月で13年目を迎えます。

 なぜ今まで続けているのかと振り返ると、私自身が心のしくみを知り、自分と向き合うことを学び、自分で自分のことを知っていくことに喜びを感じていました。

 自分を責めることが多くありましたが、今は、自分はかけがえのない大切な存在で自分を大切にするということをゆっくりではありますが学びました。

 これまでの学び、これからの学び、日々感じたこと、思ったことをお伝えしたいと思います。

 どうぞよろしくお願いします。